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仙台高等裁判所 平成元年(行コ)12号 判決

控訴人

豊嶋とよ子

右訴訟代理人弁護士

山田忠行

杉山茂雅

被控訴人

仙台労働基準監督署長

小野寺元男

右指定代理人

今泉秀和

外五名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人が昭和五九年一一月五日付けで控訴人の亡夫豊嶋勝雄に対してなした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二  当事者双方の主張

当事者双方の主張は、原判決四枚目裏六行目の「身体的」を「精神的」と改め、当審における主張を次のとおり付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

一  控訴人

1  労働者災害補償制度は、労働現場に存在する危険によって労働能力を喪失させられた被災労働者及びその家族等の生活保障を目的とする制度であるから、「業務上」とは対等な市民相互間に発生した全損害の公平な分担を目的とする損害賠償制度において必要とされる「相当因果関係」よりももっと広い概念として捉えるべきである。

労働現場における危険因子が現実化して、労働者に災害が生じたと合理的に推認できる場合には、業務上の災害と認定すべきであり、その際、①被災労働者が当該疾病に悪影響を与える業務に従事していたこと、②脳卒中等の疾病が発症したこと、③当該業務への従事と当該疾病の発症、増悪、軽快、再発などの推移の関連性が推認されることを基準として総合的に判断すべきである。

そして、当該業務への従事と当該疾病の発症との関連性が、医学的に証明される必要はなく、医学的に矛盾なくその関連性についての推認が働けばよいというべきである。

2(一)  勝雄は、①昭和五九年一月六日から同月一五日まで一〇日間、②同年一月一六日から同年二月五日まで二〇日間、③同年二月七日から同月一七日まで一一日間、④同年二月二四日から同年三月三日まで九日間、⑤同年三月五日から同月一九日までの一五日間、⑥同年三月二四日から同月三一日までの八日間の各連続勤務をなしたものである。

(二)  勝雄は、右連続勤務により、本件くも膜下出血の発症にいたるまで十分な休養を取ることができず、疲労が蓄積していたものであり、右連続勤務中の気温は、昭和五九年一月六日から同年四月一日まで真冬日が一〇日あり、勝雄はそのうち八日働いている。ことに、二月四日から九日までの六日間は、真冬日が続いていたもので、この間、勝雄は二月六日に休んだだけで、五日間働いている。さらに、真冬日にはなっていないが、寒冷状況のもとに、勝雄は、休日を満足に取ることなく屋外作業を行っていたものである。このような、寒冷状態のもとでの屋外作業が、勝雄の身体にストレスとして作用し、連続勤務とあいまって勝雄を過労状態にしたものである。

3(一)  脳動脈瘤の発生・成長には血行力学的因子が重要な関与をもっており、右動脈瘤の破裂に関しては、精神的・肉体的ストレスによる一時的な血圧上昇が直接的な誘因となっている。そして精神的・肉体的ストレスによる血圧の上昇は、当初は一過性のものであっても、ある期間ストレスが持続すれば、ストレスが消滅した後であっても、相当期間血圧の上昇の状態が持続し、高血圧状態をもたらすものである。

(二)  勝雄は、脳動脈瘤があったことから高血圧症であったと推認されるが、休日なしの連続勤務が相当長期間にわたり継続したため、過労状態となり、さらに寒気にさらされての屋外作業が長期間継続していたこと、高所作業であったこと等のストレスが、勝雄に作用して、一時的な血圧上昇をもたらし、それが一定期間持続することによって、血圧の上昇傾向が持続し、この血圧の上昇によって、脳動脈瘤が成長した。勝雄は、右ストレスによる血圧上昇により、昭和五九年三月下旬ころからの体調の悪化(脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の小発作と推認できる。)をきたし、同年四月一日の寒冷時の高所作業により一過性の血圧上昇により、脳動脈瘤が破裂するに至ったものであると合理的に推認できる。

二  被控訴人

1(一)  控訴人の当審における主張1は争う。

(二)  労災保険制度は労働基準法に定める災害補償責任の担保のためになされた立法であり、労働基準法においては、この業務上の傷病による労働者の損失の填補は、使用者の過失の有無にかかわらず、使用者に全額補償責任が課せられ、その履行が罰則をもって強制されているものであるから、当該傷病が、使用者の支配下にあったことを単なる機会として発生した場合をも含めることは使用者に過重な負担を強いることとなる。

また、労働者災害補償保険法においては、保険給付の原資のほとんどが使用者の負担する労災保険料により賄われているのであり、生活保障の観点から労働関係にあることのみをもって、その損失のすべてが労災保険により填補されるものとすることは、使用者に過大な負担を強いることになり、ひいては、保険制度の存続基盤自体を危うくすることになる。

(三)  業務起因性を肯定するためには、「経験則に照らし当該傷病等の発生が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係があるかどうか」により判断すべきであり、かかる価値判断は条件関係とは別個のものであり、相当因果関係についての判断として位置づけられる。そして、業務が他の危険因子と共働原因となっているときは、業務が他の原因に比べて相対的に有力な原因であると認められることが必要である。

2(一)  同2(一)の事実のうち、勝雄が昭和五九年一月一六日に勤務をしたとの点は否認し、その余は認める。なお一月二二日は半日勤務であった。

(二)  同(二)の事実のうち、昭和五九年一月六日から同年二月二九日までの間に、真冬日が一〇日間あり、勝雄がその内八日間働いていたこと、同年二月四日から九日までの六日間真冬日が続き、この間、勝雄は二月六日に休んだだけで、五日間働いたことは認め、その余の事実は否認する。

3  同3は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一当裁判所も控訴人の本訴請求は理由がなく棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決理由記載のとおりであるからこれを引用する。

1  原判決六枚目裏八行目の「第一〇号証」の次に「(原本の存在は原審証人只野芳男の証言により認める。)」を、同九行目の「証人」の前に「原審における」を各加える。

2  同八枚目表二行目及び同九枚目表九行目の「中島」を「中嶋」と各改める。

3  同九枚目裏三行目の「証言している」を「述べている(前掲証人小沼の証言)」と改める。

4  同一〇枚目表六行目の「証言しており」を「供述しており(同証人の原審における証言)」と改める。

5  同九行目の「次に」から同一五枚目表三行目末尾までを次のとおり改める。

控訴人は、梁の上での作業は当時の勝雄にとって強度の精神的肉体的緊張を余儀なくされる業務であり、本件くも膜下出血は、右業務が原因となって発症した、あるいは、勝雄は休日なしの連続勤務が相当長期間にわたり継続したため過労状態となり、さらに寒気にさらされての屋外作業が長期間継続していたこと、高所作業であったこと等のストレスが、血圧の上昇ひいては脳動脈瘤の成長をもたらし、昭和五九年三月下旬ころからの体調の悪化をきたらしめ、同年四月一日の寒冷時の高所作業による一過性の血圧上昇により、脳動脈瘤が破裂するに至ったものである旨主張する。そこで、この点につき判断する。

前記〈書証番号略〉、並びに原審における証人只野芳男、同木村精、同小沼武英の各証言、原審における控訴人本人尋問の結果(採用しない部分を除く。)、当審における鑑定の結果及び弁論の全趣旨に照らすと以下の事実を認めることができ、右認定に反する原審における控訴人本人尋問の結果は右各証拠に照らし採用しない。

(一)  勝雄の業務内容等

(1) 勝雄は、昭和九年五月二五日生まれの男子であり、本件事故当時は、四九歳であった。勝雄は、農業をする傍ら昭和五四年から阿部工務店で働き、昭和五八年一月から、とび土工事、ビル基礎工事、仮設工事、鉄骨組立工事、一般建築工事などを業務内容とする森勇建設株式会社(以下「訴外会社」という。)で、農繁期を除き作業員として勤務するようになり、勝雄の同社での仕事は、とび職を主体とし、土方、運搬、片付などの作業であった。勝雄は、高所作業には経験を積んでいた。

(2) 訴外会社での勤務時間は、午前八時から午後五時三〇分が所定労働時間であり、勝雄は午前六時半頃、迎えに来る同社のマイクロバスで出勤し、午後七時頃、同マイクロバスで帰宅していた。通勤時間は約一時間であった。休日は毎月第一、第三日曜日であったが、勝雄ら作業員は、それ以外の日であっても欠勤することに特に制約はなく、他方、業務の都合により、休日であっても出勤が要請されることがあった。

(3) 勝雄が、昭和五九年一月以降の作業に出なかったのは、一月が一日から五日(正月休み)、一六日(二二日は半日出勤)、二月が六日、一八日、一九日(休日)、二三日、三月が四日(休日)、二〇日、二二日、二三日であり、勤務日数は、一月が24.5日、二月が二五日、三月が二七日となる。残業は昭和五九年一月が一時間、二月が二時間、三月は零であった。したがって、連続勤務の状況は、①昭和五九年一月六日から同月一五日まで一〇日間、②同年一月一七日から同年二月五日まで二〇日間(但し、同年一月二二日は半日勤務)、③同年二月七日から同月一七日まで一一日間、④同年二月二〇日から同月二二日まで三日間、⑤同年二月二四日から同年三月三日まで九日間、⑥同年三月五日から同月一九日までの一五日間、⑦同年三月二四日から同月三一日までの八日間となる。また、勝雄は、他の作業員と比べて欠勤は少なかった(昭和五九年一月六日からの勤務した日については一月一六日を除き当事者間に争いがない。)。

なお、昭和五九年一月六日から同年二月二九日までの間に、仙台地区において、最高気温が零度以下の真冬日が一〇日間あり、勝雄がその内八日間働いていた。同年二月四日から九日までの六日間真冬日が続き、この間、勝雄は二月六日に休んだだけで、五日間働いた(この事実は当事者間に争いがない。)。

本件事故当時の仙台地区の気温は摂氏4.2度であった。

(4) 勝雄の本件事故一か月前の業務内容は以下のとおりである。

すなわち、勝雄は、三月一日から同一〇日までは、本件事故のあった鈴木宅で、基礎工事、仮枠組み立てに従事し、同月一一日は欠勤した。同月一二日は仙台市愛子で仮囲い等の作業をし、同月一三日は古川市で働き(作業内容不明)、同一四日から二一日までは仙台市愛子のアパート建設現場で、仮囲い用パイプ打ち込み、コンクリート打設、鉄筋足場架け等の作業をした。同二二日、二三日は欠勤し、同二四日は、スコップ等を使い小学校の校庭の整地作業をし、同二五日は鈴木宅で仮枠組み立て作業をした。同二六日に、仙台市石垣町で大工工事(作業内容不明)に従事し、同二七日から二九日は、コンクリート打設、足場架け等の作業をし、同三〇、三一日は東北農政局官舎敷地内の立木、竹などを伐採し、これをトラックに積み込み、捨場まで運ぶ作業をした。

(二)  勝雄の健康状態

(1) 勝雄はもともと健康体であり、医者にかかることはほとんどなかった。勝雄は、昭和五八年一〇月二〇日に行われた健康診断では血圧は最高が一四一、最低が九一であった。昭和五九年二月一四日、訴外会社で健康診断が行われたが、勝雄は受診していない。本件事故当時、食生活の面では好き嫌いはなく、焼酎を二合から四合位晩酌し、煙草を一日に二〇本位吸っていた。

(2) 勝雄は、本件事故の五日前である昭和五九年三月二七日頃から身体の不調を訴え、酒も飲まず、食欲もなく、晩には早く寝、朝は遅くまで寝ているようになり、仕事に行くのも億劫がるようになった。事故の二日前頃に、通勤のマイクロバス内で同僚に「風邪をうつされた。」などと体調が悪いことを訴えたことがあった。本件事故当日は、本来訴外会社の休日であったが、本件工事の建前が予定されていたため、訴外会社から出勤を要請され、三月下旬頃、同社から一〇万円の給料の前借をしていたこともあって、これに応じて高所作業要員として出勤した。しかし、勝雄の顔色は悪く元気がなかった(勝雄が昭和五九年三月二七日ころから身体の不調を訴えていたこと、本件事故の当日が日曜日であり、訴外会社の休日であったこと、本件工事の建前が予定されていたので、勝雄は高所作業要員として出勤したことは当事者間に争いがない。)。

(三)  脳動脈瘤の形成及び破裂の機序

(1) 勝雄が発症したくも膜下出血は脳動脈瘤の破裂によるものである。勝雄の脳動脈瘤はのう状動脈瘤であり、その発生機序は、医学的には未だ全てが解明されていないが、脳血管分岐部の動脈壁中膜が先天的に欠損した部分に、脳血流の流体力学的圧力が加わることにより形成され、このような要因で発生した動脈瘤は、血流圧により徐々に発育するというのが医学上の定説となっている。脳動脈瘤は、直径が三ミリメートルを超えると破裂の危険性があり、その破裂の機序は、血圧が動脈瘤壁の耐圧性を上回ったとき壁が破れ破裂するものであり、平常時において耐ええた動脈瘤壁が、急激の血圧上昇により破裂することもある。勝雄の破裂したのう状動脈瘤は、長径七ミリメートル、短径四ミリメートルとかなり大きなものであった。

(2) 脳動脈瘤の破裂のリスクファクターは、①脳動脈の虚弱性、②加齢、③高血圧症、④栄養状態、⑤労働・生活環境の変化、⑥精神の不安定、⑦飲酒、喫煙などであるが、寒冷はリスクファクターではなく、高所作業はそれを職業とする人にとってはリスクファクターではない。

疲労については、高血圧状態を引き起こす疲労度の判定基準を明確に規定することはできない。しかし、個人にとって過労となった場合心臓への負担、精神的緊張及び心搏出量の増加から高血圧状態となることはある。

(3) 脳動脈瘤の発生、発育は、長年月に亘り形成されるもので、急激なものではなく、寒冷、高所作業、疲労との直接的な関係はないが、破裂については、急激の高血圧が関連することはある。統計資料によると、睡眠中にも破裂が起こっているが、性交、排便など肉体的・精神的に緊張したときにも起こっており、破裂の機序は前記のとおりであるが、その原因(外的ストレス)については定説がない。

以上のとおり認定することができる。

4(一) ところで、労働者災害補償保険法第一条にいう「業務上の事由による労働者の・・・疾病」に該当する場合及び労働基準法第七五条にいう「労働者が業務上・・・疾病にかかった場合」とは、疾病が業務に起因する場合をいい、業務と疾病との間に相当因果関係があることが必要である(最高裁判所昭和五〇年(行ツ)第一一一号同五一年一一月一二日第二小法廷判決・判例時報八三七号三四頁参照。)と解すべきである。すなわち、労働者災害補償保険法は、労働基準法に規定されている使用者の災害補償責任を担保するための制度であり、右災害補償責任については、危険責任の法理が妥当し、また、労働者災害補償保険は、保険料の主たる原資が事業主の負担する保険料とされているうえ、責任保険としての性格を具有していること(労働者災害補償保険法第一二条の二の二、労働基準法第八四条一項)からすると、当該傷病等の発生が業務に内在ないし随伴する危険の現実化とみられるべき相当性の判断が要請されると解するのが相当である。したがって、この点に関する控訴人の主張は採用しない。

(二) そこで、右3認定の事実により本件くも膜下出血と業務との相当因果関係があるか否かを検討する。

(1)  勝雄は他の作業員に比較して欠勤日数が少なく、休日も出勤するなど、昭和五九年一月六日からの連続勤務の最長日数が二〇日間(昭和五九年一月一七日から同年二月五日まで。但し一日は半日勤務)に及んでいることからすると、一応、肉体的な疲労の蓄積が問題となりうる。

しかしながら、勝雄は、昭和五四年からこのような作業をなしてきたものであり、本件事故前三か月の昭和五九年一月以降の作業は従前の作業に比較し、特に負担となるものであったと認めるに足る証拠はなく、また一か月前の作業についても特に負担となるようなものであったと認めることはできない。勝雄は、休日以外の日であっても欠勤することに特に制約はないのに、体の不調を訴えて休んだことを認める証拠はないこと、昭和五九年二月一四日、会社で健康診断が行われたが、勝雄は受診していないこともこのことを裏付けるものというべきである。

(2)  勝雄のくも膜下出血の原因はのう状動脈瘤の破裂であり、その大きさは長径七ミリメートル、短径四ミリメートルのかなり大きなものであり、長い年月を経て形成されたものである。寒冷、高所作業は脳動脈瘤の形成のリスクファクターではない。疲労はその蓄積が高血圧状態を招来させ、高血圧症が破裂のリスクファクターとなるという面においては関連性があると解するのが相当であるが、勝雄が本件事故前三か月間において疲労を蓄積していたとは認めることができない。もっとも、事故の五日前である昭和五九年三月二七日頃から身体の不調を訴え、酒も飲まず、食欲もなく、晩には早く寝、朝は遅くまで寝ているようになり、仕事に行くのも億劫がるようになり、本件事故当日も、顔色が悪く元気がなかったが、前記認定の作業内容及び同年三月二二日、二三日に欠勤をしていること、その後休もうと思えば休めるのに休暇をとっていないことからすると、右身体の不調が疲労の蓄積を原因とするとまでは認めることはできず、本件事故の二日前頃に、通勤のマイクロバス内で同僚に「風邪をうつされた。」などと言っていたことからすると風邪による身体の不調であったとも考えられるところである。

そして、本件事故当日の勝雄の梁の上での作業が当時の勝雄に、身体に不調があったとしても、強度の精神的肉体的緊張を余儀なくされる業務であったと認めることもできない。

(3)  以上によると、本件くも膜下出血の基礎疾病である勝雄の脳動脈瘤の発育ないし破裂は、脳動脈瘤が加齢とともに徐々に悪化し、自然発生的に増悪した可能性が大きいというべきであって、その発育ないし破裂について、業務と相当因果関係があると認めることはできないというべきである。

二よって、原判決は相当であり本件控訴は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官豊島利夫 裁判官飯田敏彦 裁判官菅原崇)

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